(あやこ) 1888〜1946 |
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ふるさとの香々地にかへり泣かむものか
生まれし砂に顔はあてつゝ 江口章子は国東半島香々地町の、屋号「米屋」という酒造業を営む家に生をうけました。大分高女で学び、1915年上京、平塚雷鳥の紹介で北原白秋と知り合い結婚しました。 結婚後は自らの文学への志を捨て、白秋を支えますが数年後、北原家といさかいを起して白秋のもとを去ります、その後は文字どおりの放浪生活で、一時は柳原白蓮の赤銅御殿に身を寄せたこともありますが、最後は生家の土蔵で狂死したと伝えられています。 この歌碑に刻まれた歌は、長野県蓼科から知人に宛てた 手紙の中にに詠まれていたものです。 文学に憧れて上京した ことが、運命を変えたとも言えるのでしょうが、この過酷な 旅路をも、神は宿命と言われるのでしょうか。 この日の周防 灘は、波頭の白が藍に映えて、不思議な美しさで広がっていました。 「追分の心」「女人山居」などの詩集があります。 また瀬戸内寂聴の「ここ過ぎてー白秋の三人の妻」のヒロインでもあります。 |