(明治期の元・外務大臣)
場所:大阪市の天王寺七坂の一つ、 口縄の坂などもある夕陽が丘。 この碑の近くに夕日庵跡がある。 情報提供者:三蔵志郎さん
空蝉の殻は 何処に朽ちぬとも我魂宿るかた岡ぞこれ
陸奥宗光が実父の伊達宗広を弔った歌である。 宗広は仏教を尊び、和歌を愛した。藤原家隆の夕陽庵に隣接する地を墓所と定めていた。